一歩目は再生、新生です。
聖霊が人の霊を生かし、彼を神の国の中に誕生させます。
これは完全に聖霊の働きでありその時、神と天使、そして人も
大いに喜びます。この段階においては「人のもの」が介入する
余地は皆無と言っていいでしょう。
二歩目は、小さな交わりです。一人の真に新生したキリスト者は
必ず他の新生したキリスト者との触れ合いを慕います。(そうでなければ、
その「クリスチャン」は偽者です。)それは、同じ父から生まれた
神の子供としての、自然な「命の成り行き」であるからです。だから彼は
他の同じ命を受けた少数の兄弟と「交わらない」わけには行かないのです。
この第二歩目・二人、三人の交わりも純粋に聖霊からのものです。
この現象は例えば、今「硬直した組織」の中にいるキリスト者であっても
偶然出会った他のキリスト者と図らずも小さな交わりを
交わす時などに容易に感知出来るものです。
何故ならその時、彼らがそこで楽しんでいるのは、その純粋な交わり
そのものであるからです。彼らはその時、彼らの「とても難しい背景」を
総て忘れ、ただ「交わりそのもの」を楽しんでいるのです。
これは何と素晴らしいことでしょう。
(しかし仮にそこで、一方のキリスト者がひそかに「ある意図」を抱く
場合、その純粋な交わりは直ちに破壊されるでしょう)
このように一歩目、二歩目においては何の問題もありません。
何故なら、繰り返しますが、この第二歩目までは神を源とする生命現象
そのものであるからであり、その交わりの主導者は聖霊であるからです。
第二歩目までの命の現象「誕生と交わり」は完全に「神のもの」です。
*
それではこれから第三歩目を見て行きましょう。
さてここで仮に、第二歩目までに現れた小さな純粋な交わりが
ある地域に6、7個 現れたとします。
その時 人はどんな反応を示すのでしょうか。
結論から言ってしまえば、人は「その反応」の結果、必ず
この三歩目で「こける」のです。第一歩と二歩目でこけることは
むしろ難しいことでしょう。しかしながら、第三歩目となると
何故か人は実にたやすくこけるのです。
これは何故なのでしょう。
何故なら人がその6、7個の第二歩現象に接するとき、そこに
「人のもの」が巧妙に「入り込まざるを得ない」からです。
悲しいかな、その「人のもの」を完全に防御するのは至難の業である、
と言ってもよいでしょう。だからこの二千年間、どんなに優れた
キリスト者のリーダーであったとしても
(彼らの総て、と言っても良いかも知れない)
この第三歩目で皆こけたのです。
☆私情報
千葉の八千代市で一人暮らしを始めた
次男のジュン(精神障害を持つ)がこのところ
不安定な状況に陥り、私はいまだに実家におります。
何らかの対応が必要になるかも知れません。
皆様の祈りに覚えていただければとても幸いです。
0 件のコメント:
コメントを投稿