*この数日の聖徒達のことばから
・圧迫され追い詰められ、どうしようもなかったその時 初めて
「あ、私はもう死んでるんだ」と分かった。そして感謝の涙が・・
・終わりの時代、クリスチャンは山に逃げ込めばいいのかも。
・お腹も心も満たされた。甘く濃厚な臨在に満たされて幸せだった。
・主は真実でユーモアのある方、祝福された日々。
・ここでは誰も何も企てない、総てはジーザスまかせなのです。
・「あ~来れた~」で始まり「何だかやっとノビノビ生きはじめたかも」
・薪ストーブの周りに集まって全員ウトウト、母の胎にいるような。
・実に生きている実感をここの人たちは・・
*ケンが山に来る?
実家の状況からケンを山に連れてくるべきかな、と思案しております。
もしそうなれば これは私にとって相当大きな生活の変化となるでしょう。
このことから逃げてはいけない。この問題を私の真正面にデンと据え
私はしっかりとこの身に「ケンを着る」べし。次に
「この大変な親子」の全体を今度はキリストに着ていただくべし。
そして既に今日今から この状況総ての詳細部分へと
キリストに来て頂くのだ、彼は「私達のキリスト」なのだから。
そうなるといずれ、地下に超ヘビースモーカー・ケン専用の部屋を
作るべきだろう。その内トイレも要るし流しもいる。
さあ、大きな工事になるぞ、
と言う覚悟を先ほど決めたところです。
主を仰ぎます、常に最善をなさる主を。
「キリストよ、総てよろしく」
4 件のコメント:
はい、聖徒の一人です。
金曜会社を休んだ、その埋め合わせのために、またも終電帰りの日々に戻ってしまいましたが、
聖徒という立場にホクホクです。(^^)
主はまた新しいことを始めようとしておられるようですね。
ケンさんをキリストに継ぎ合わせるためなのか、
山小屋をさらにバージョンアップさせるためなのか、
あるいは、その両方のためか。
僕も、
「イエス様、全てよろしく」
と祈ります。
終電車、大変!
でもそんな大変なあなたのコメント
とても嬉しかった。
ケンのことは私にとってはやはり「大変」
でもその瞬間思ったのです。
あ、この私の大変の背後には
聖徒達がいるんだ、
そしてもちろん主イエスキリストが、と。
私は「ずうずうしくも」この大変を
キリストとその御体の中に「入れ込む」
事さえ出来るんだ、と。
継ぎ合わせかそれともバージョンアップか
それ両方でしょうね。
これはいい、決まりです!
さあ、今から工事、地下に行きます。
僕も今日は「大変」と思いましたけれど、
でも背後には雲のように取り囲む聖徒達とイエス様がおられるんですよね、そう思うとあまり大変とは思わなくなってきました。
山小屋のバージョンアップ、がんばってください(^^)
色んな状況の変化と言う「大変さ」:
でも私達は
不動と勝利の「奥義的な今日のキリスト」
(キリストと聖徒達)の中で彼と一つです。
ここに安息します。
コメントを投稿