2008年2月16日土曜日

水と火

神には完全な徹底があるだけで
改善、改良、リフォームと言うものがありません。
正真正銘の無から有を、全きゼロから無限を生じさせるのが
神の妥協することのない原則です。
キリストにおける十字架と復活が正にそれです。

そしてそれは お情けで私達においては多少割り引かれて適用される
と言うことも決してありません。
私におけるキリスト以外のもの(神の為の何かであったとしても)が
一切死の水の中に完全に没し、溺死することがなければ、言い換えれば
私の総てをキリストの十字架と言う原型の中で100パーセント
処理させるのでなければ、そこには無がありません、ゼロがありません。
だから神は決してそこに有と無限(復活)を発生させることはないのです。
このことに例外は全くありません。クリスチャン生活の初日において 
神はこの厳粛な現実を深く印象付けるために 
敢えて私達を 象徴的に物質の水の中に溺死させたのです。

徹底的な死以外 復活に至ることはありません。そこに残ったキリスト
以外の残骸は必ず将来火によって完全に焼却されます。
そこにも妥協は一切ありません。
これはキリスト者にとっても決して免れることの出来ない現実です。


あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。(ヨハネ)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いつも匿名で失礼いたします。

胸の中の神様は
優しくて 厳しくて

今夜は
雪を降らせて下さっています。

大きな雪の花が
ひらひらと 綺麗です。

山のお暮らしでは珍しくもない雪ですが
ポツンと一人ぼっちで
神様に暖めていただきながら
冷たい雪の花を体一杯に受けました。

お風邪など
召しませんように。

失礼いたしました。

Mr.Sugar さんのコメント...

いつも暖かいコメント有難うございます。

雪ですか、そうすると匿名さんは意外と

寒い地方? でも今年はね。

春になったら小屋にでも

お出でになりませんか。大歓迎ですよ。


今朝はマイナス9度、

カリカリしたパウダースノウが

朝日に輝いています。