2007年9月21日金曜日

ある方の談話です3

神様は昨日 私にとても愉快で楽しく恵まれた一日を
プレゼントして下さいました。
三春に帰られている向山さんと呼石でデート、
昼食をして「お茶をして」それだけではとても勿体無いので
日が暮れるまで、松ヶ崎の暮れなずむ海の観える高台で、
夕風に吹かれながら話し込み、何と結局は夕食もご一緒して
車の中でも祈りあい、ようやくお別れと言う事にあいなりました!

打ち合わせなど何も無くとも話題の中心はキリスト 
何をとりあげてもキリスト 
これが何と言っても私達にとって満たされるコツです。

Sugar: 
その日 お二人の口から出て来た話を人が
もし立ち聞きでもするならば 
それは単なるキリストに関するあれこれの賑やかな
おしゃべりに過ぎなかったことでしょう。

しかし実は
そのあれこれの中にしっかりと存在していた
ある実質があったのです。
それは目にこそ見えないけれども 
明瞭この上ない真の実体なのであり、これこそは 
天におられる生けるキリスト そのお方なのです!

神と子羊の御座である1点の源から発した川は 
お二人と言う2点の中の 地上のキリストに達し、
そして水晶の様に輝く「1つの川」として今度は
その3点3者の間をその日
サラサラと行き来し流れていたのです。

それだけではない、
同時にその時、その天地の1本の川は実は他の総ての
キリスト者の中のキリストとも交流していた筈です。
だからお二人のデートは実はお二人だけの「満たされるコツ」
などに留まらず、何とキリストの全からだに
(いや諸国民にさえ)
目には見えない天的光、天的力、キリストへの天的吸引力、
天的栄養分、また天的健康、従ってその結果天的癒しをも
供給していたと言えるのです!

この天的な交流の実質、天的な電気の本体(ビリビリ)
だけが「今日の天地にあるただ一人の人 
奥義的イエスキリスト」であり、
また「教会」の本質なのです。

それは、茶碗でなくあの「お茶」そのものですね。
その日 お二人はとても素敵な
「真の」お茶会を楽しまれたと言えるでしょう。
だからそのようなお茶会をおひらきにするのはとても難しい。
それ よく分かります。

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