カリマンの森のいつもと変わらぬ昼下がり、
キャンプも終わり、またとても静かな
元の山小屋に戻りました。
ロフトの窓から外に目を移すと、
南の森に情け容赦なく降り注ぐ真夏の光と
カナカナの一寸さびしげな声ばかり。
今日私が発した人間の言葉はと言えば、隣りの出羽海さんへの
「スイカ、食べきれないから手伝ってくれる?」の一言のみ。
きのう迄とはエライ違いです。
しかし何ですよ、今私 このキャンプと言うものの意味深さに
改めて感じ入っているのです。これだったら例えば、
もっと色んなバリエーションがあっていいのではないか とか。
つまり、色んな形のノンビリお泊り会ですね。
目的を絞って、緊張して
1、2時間の勝負というのであれば、話は全然 別。
そうでなくて2,3日リラックスして、ボンヤリと
ただ人としてそこにいるだけでいい、いやむしろ
何かを始められては困る、ただ一事
「あの方のもとで この人々と共に」安心して身を委ねて、
と言うのであるならば、
そこにいる人達の正真正銘の姿 争えない本当の姿が
現れざるを得ない のではないでしょうか。
そうなると結果的に どうしても本物を持っている人々の
その本物が何の苦も無くジワーッと現れてしまうと
言うことになるのです。
(そう言うことなので 遂に天使達までもがこの森へ
私達の本物を見に来た!)
だから、大切なのは その本物を持っているかどうか、
自分の総ての筋肉を本当に弛緩(ちかん)させることが
出来るかどうか、ということになりますかね。
☆
「あ、やっぱりこの小屋、私のものなんかじゃないんだ。
そのこと 改めてホントによかった。」
これが今の私の しみじみとした安堵感、幸せ感なのです。
「全国の皆様」本当に有難うございました。
4 件のコメント:
ほんとうにありがとうございました。
「全国の皆様」と叫んだあの方の気持ち
やっと少しわかりました。 (*^_^*)
そこで味わったよきもので、これからの
歩みが希望に満ちています。
全国の皆様、全世界の皆様、また全宇宙の
皆様、父なる神よ、
聖霊よ、諸々の天使よ、私達はただイエスを、唯イエスのみを高く高く挙げます!
ホント >自分の全ての筋肉を本当に弛緩させることが出来るかどうか
は 本物をもっているかどうかの重要なポイント、そして見分け。一点キリスト(キリスト一点ではなく・・フッフッフ)ですね。
正に、正に。
ただ弛緩させるだけだったら
風邪引きさんでも出来ること。
本物とは、
キリスト、更にキリストとの一つ、
そして、今天地にある奥義的キリスト
との一つ。
このテーマは無限に深いのです。だから
私達を無限に魅了し続けることでしょう。
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