きっとあの5月3日の夜遅く
セージとマルシアを この小屋に迎えたのは
私だけじゃ なかったのだ。
随所に見られた 私ではない
不思議な配慮とやさしさ
今に残る余韻 静かな喜び。
★
さて
私達が信じているこの信仰、
本当に 私ではなくキリストなのだと。
私は もう墓の向こう。
「私」はいらない 「私」はいない
既に 神がそうされてしまったのだ。
神が見られるのは 唯1点キリスト
それに内包される私達。
だから、キリストの内に 私を見るだけ
イエスを 私とするだけ!
☆
2 件のコメント:
見えないけれど、限りなく大きな存在。
愛であり、暖かくて、繊細で、圧倒的な方。
復活のキリストは、通りすがりの方たちからも案外良く見えているかも・・・
そしてお1人お1人の中に、暖かい余韻として残りますね。
ブログで様子がわかり、こちらまで同じ余韻に与っている感じです。
不思議が一つ:彼等 あの夜 家まで全く
ノー渋滞だったそうです。
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