2007年5月6日日曜日

  レストランの客 と 店長

 レストランのメニューは 実際に料理を注文し食べて楽しむ為にある。
もしもメニューを眺めて喜んでいるだけの客や 
サンプルの料理を鑑賞するばかりの 変な客がいたら 
店長は立腹し、その客を店から追い出すであろう。

 聖書の真理も 単に有難がったり、鑑賞する為にあるのではない。 
その真理の能書きを知ることは必要であろうが、その後、オーダーを取り
そして 出された料理を実際に自分のものとして実際の生活に適用し、
その真理がいかに有効に機能するかを体感し楽しむためにある。
 
 例えば「キリストと共に十字架につけられた」は高嶺の花の
有難い教えなどではない。今日直ちに 小学校5年生の兄弟でさえ 
その効き目の有効性を楽しむためのものである。

 パウロは 当時の一般の人々の日常生活で 直ちに効き目を発効する
キリストにある真理を紹介した「手紙」を書いた積りであって、
偉い先生方の研究や もったいぶり とりすましたメッセージの材料を
提供するつもりなど 毛頭なかったはずである。

 真理のメニューを見た後 その客が 自分が楽しむべき料理を
しっかりと選び、注文し、そしてその料理を実際に食べて
楽しんだかどうか、
我らの良き まことのレストランの店長の着目は 
その点にのみ集中しているのである。

 この店長は料理の味、栄養には絶対の自信がある。
しかし もしその点で不満を感じたら 遠慮なく店長に直接交渉すれば
よいのである。私達は客であり 
店長は私達を招いてくださったのであるから。

 この店長は 客のそのような「フランク正直な態度」が大好き
という点で 極めて個性的な方なのだ。
 この愛と配慮に満ち その上何と ありとあらゆる能力を
十分にお持ちの店長さん 多分そのようなあなたを別室に招いて 
時間をタップリと取り 一対一の対話の中で 
あなたの健康状態のチェックや その料理の正しい食べ方まで 
実に懇切丁寧に教えてくれるのではなかろうか。

 総てはあなたの 料理と店長に向かう
真っ直ぐ率直な態度にかかっているのである。

    遠慮など無用なのだ   
 さあ、今すぐ 皆で この素晴らしいレストランに繰り出し  
  大いに食べて楽しもうではないか!

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