きのうまではとても順調に
マキ小屋・第二屋根の工事が進行しておりました。
そして今日は
15本のネタ(タルキ)を渡せるはずでしたが、
朝から霧雨となり、
(昨晩はあんなにクリアな満天の星空だったのに)
外の工事はムリでしょう。だから
今日から木曜日までは内装工事となるはずです。
★無言の神★
聖書は偉大な「矛盾の書」です。例えば
「神の平安」ということばがピリピ書にあります。
(4の7)だから神には
サタンも動かし得ない平安があります。その意味では
誰も神の幸福を揺るがすことは出来ません。
これが基本の真理です。
しかし創世記を見ると神の心が、その創造の結果について、
「よかった」と感じた日と「とてもよかった」という日と
神が大きな安息に入られた7日目があるのを見ます。
しかしまた、注意深く聖書を読んで見ると
神が「無言になられた日」というのがあるのに気づきます。
当然この無言の日とは、神の心が「よかった」とは
感じられなかった日です。
このように神は、私達以上に「きわめてデリケートな」
感情をお持ちであることが分ります。
(創世記の一字一句にミジンの「でたらめ」もありません。)
必ずそこには深い真理が隠されています。)
それを人のことばで表現するならば
神はその日、アンハッピーであったと言える
のではないでしょうか。
さてそれでは今日という日(即ちこの時代)
神の敵がこんなにも横暴(おうぼう)を極めており、
あらゆる手をつくして「神のみこころ」に反対している
というのに
神は「よかった」とか「はなはだよかった」とかと
言うことが出来るでしょうか。それは不可能なことです。
神が無言だった日というのは二日目です。
何故かと言えば、実はその二日目にはサタンが
関係していたことが考えられるからです。
(そのワケについては後日に)
暗闇の陣営の介入があると時に神は無言になられます。
(私達はしばしばそうです。)
一方神が「とてもすばらしい」といわれた日は6日目です。
何故でしょう。それはいよいよその日は
人が造られた日であったからです。そして
「グッド」と言われた日は第1、3、4、5日目です。
それは人が造られるための準備の日々であったからです。
(こう見ると、私達の神はまるで
誕生する赤ちゃんの為のお母さんのようです。)
このように何と神の創造の焦点は人間であり、
神の心の焦点は人です。
しかし、私達はその背景には
サタンの悪事がありまた「無言の神」がおられる事実を
忘れるべきではありません。
このように、人が造られた理由は
「人によって神が幸福になられるため」
であることは明らかです。
*
かの日確かに私達は、神には一点の矛盾もなかった
ことをしかと知るでしょう。
2 件のコメント:
今日では、
「神によって人が幸福になるため」
と思っているクリスチャンが多いのではないでしょうか。
アンハッピーですね。
その通りです。
それは、人の為の神ですね。
人は神のため、であるはずなのに。
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