2011年8月18日木曜日

「小さな群れ」の貴重さ

キリストは
「小さな群れ」の重要性を強調されましたが
その継続は簡単なことではありません。

そのような集まり方・・
即ち、少数のキリスト者達が、全く対等な関係を
守りながら、しばしば集まること・・は
性質上、他の集まり方とは
根本的に完全に異なったものであるからです。

普通の一人のキリスト者が(単なる一兄弟として)
普通のなんでもない人間生活の中で、しかし人々には
知られることなく、
1.いかに御血にあずかったか
2.いかに神の敵に対して、証のことばを口にしたか
3.いかに自分の命を惜しまなかったか(黙示録12章)
によって、数名からなる
「普通のキリスト者の普通のあつまり」が 初めて継続可能な
ものとなる筈です。その一つでも欠けるともう難しいでしょう。

この二千年間、キリスト者達は容易に
先ほどの三点は「とても難しいものである」と結論づけるので
彼等はどうしても「他の方法」に流れて行かざるを得なかった
のです。(その流れが「キリスト教というもの」の歴史です。)

だからこの20の世紀の長い時間の中でさえ
初代のある時期を除き、そういう小さな集まりの継続は、
そんなに多くはなかったのではないでしょうか。
イヤ、とても少なかったはずです。

くりかえしになりますが、先ほどの「天来の三つの条件」が
本当に存在してこそ、人の目には簡単そうに見えるが、
内的には「天の性質を帯びた稀有(けう)な集まり方」が
初めて現実のものとなるのでしょう。

だからある意味で、それは
奇跡(天の法則が地上の法則を越えて現れること)です。
だから、もしもそんな奇跡がいたる所で起って来るならば
(当然隠された方法で)私達は 主の再来は極めて近い
と知るのではないかと考えております。

2 件のコメント:

K.T. さんのコメント...

ご無沙汰しています。
「小さな群れ」の快適さを今実感しています。
人間的な組織から離脱して、主の囲いの中で解放されています。3人だけの集まりですが、のびのびとした主にある集会はとても楽しいです。シュガーさんの働きを主に感謝しています。

Mr.Sugar さんのコメント...

よかったです。

小さな集まりが
自然に他の小さな集まりを
「生み出す」ようになったら
素晴らしいですね。