2011年8月2日火曜日

階段のかべを作っています

雨降りなので、中で階段横の壁を作っています。
これが終われば、二階を一階から遮断(しゃだん)
するために板で階段をおおうのですが、そのための
よい方法をきのうフト気づいたのです。それは実に簡単で
効果的なやり方なので、自分ながらちょっと驚ろきました。
(それまでは相当面倒な方法を考えていたのです。)
山で一人で大工をしていると、時にこう言うことが
起るので面白いです。


さて
私達がサタンを糾弾(きゅうだん)することは、
実に奥が深いです。 黙示録12章によれば・・

先ずは、①御血が、絶えず、絶対的に必要です。
それを忘れ、自分で出て行ったら(サタンに対抗したら)
戦う前にボロ負けが決まっています。

次は②「証しのことば」ですが「証し」とありますから、
それは、私達が 法律(神の言葉)をよく知った上で、
法廷に立つ姿を連想させます。法廷とは当然、ことばが
大いに飛びかう場所です。

その証人(私達)の前には、裁判官なる神と、
私達の横には、敵である巧みな「訴える者」がおります。
その訴える者(サタン)はきわめて勤勉で、実に口八丁
手八丁、とても高い能力を持ち、とうとうとして、私達を
(本当は日夜)訴え続けるのです。(何とずうずうしい!)

彼の本質は悪(ウソと人殺し)なのですが、法廷の
場面においては、必ずしも正義が勝つとは限りません。今とは
「あなたの現場で」常時開かれている「法廷の時代」なのです。

また背後には 無数の傍聴人(ぼうちょうにん)すなわち
有形、無形の被造物(天使達)がいて、一言も聞きのがす
まいと、カタズをのんで主役の対決を見つめているのです。
当然、傍聴人が発言することは許されません。

裁判官も、法廷においては、特に今、
(サタンの不正に対する彼の激怒(げきど)は明白なのですが)
その最終判断をかくし、あまりしゃべりません。

だから あの訴える者に対する私達の言葉や弁明等
(法律が正しく適用されているか等々)に加え、
私達の態度、目つき、顔つき、語調などが
総ての「なり行き」を決定するかのようです。

最後に
私達は③「自分の命」を惜しまないことです。
これは日々負うべき私達の前に置かれた十字架です。
実は「自分の魂の命を捨てた者」以上に、この世で
強い者はいないのです。

もしも以上をクリアすることが出来れば、あのたくみな
訴える者も、何回でも!イナヅマのように、天から地に投げ落と
されるでしょう。 今日でさえ、主イエスは(時空を越えて)
それをご覧になるのがとてもお好きです。(ルカ10章)

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