利根川のどて(堤防)は巨大です。
もしもこの川が氾濫(はんらん)したら
その被害はそうとうなものでしょう。
早朝、
その土手の上をユックリと歩くのが好きです。
★
「小さな群れよ、恐れることはありません。
あなた方の父なる神は、喜んであなた方に
御国をお与えになるからです。」
(ルカ12の32)
私たちキリスト者はよく
「自分たちのグループ」が偉大になることを夢に見ます。
しかしその願いの本音が「私達は大きい」と誇りたい
所にあるとするならば
そのような発想の源はどこにあるのでしょうか。
実際、永遠において
「エクレシア(教会の原語)ほどに
高く偉大なものはありません。」
しかし神は
今時間の中に存在するエクレシアの中にいる人々に
「私たちは大きくてスゴイ」という感覚を
与えたいとは決して思われません。
神がキリスト者をして
「普通の家々で集まるように」意図されたことには、
深い神の知恵が隠されております。
私達はこの世において
「よるべの無い小さな群れ」に過ぎない、
という感覚はむしろ正常です。
聖書は
「小さな群れ」と正反対である大いなる宗教を
見せております。そこには、人間が大好きな
「グレート」という言葉が何度も現れます。
彼女(大バビロン)は心の中で「私は女王の座に
着いている者であり、やもめではないから、
悲しみを知らない」と言う。(黙示録18の7)
※
ここで言う宗教とは
「神のもの(金と宝石と真珠)を飾りとした(利用した)
自分のための業」のことです。(黙示録17の4)
0 件のコメント:
コメントを投稿