2011年7月21日木曜日

ストーブをつけていますよ

その上、上は三枚、下は二枚着ています。
まだ山におります。


さて、きのう以下のように書きました:

「永遠の」事実、すなわち真理を 、
今この望みのない時空の中で 生きざるを得ない人々に、
また 総ての造られた者達、また悪魔に対して
力強く宣告するために・・と。

全く同じ真理の内容でも
①人に対しては(自分もふくめ)命と光になりますが
②悪霊に対しては剣(ツルギ)となって、彼等を退かせ、
③神と良き天使達に対しては大きな喜びとなります。
(実は、誰が、どんなことばを、誰に向かって、
どんなふうに発するかは宇宙的時代・天地の時代をも
変えるほどのことです!)

当然、それぞれに対してその「語調」は異なるでしょう。
しかしまた、
神をふくめた「総ての生きもの」に対して、
一度に宣告することも不可能ではありません。
(むろん、対象を明確に意識することは重要です。)

確かに世界に真理は存在するのですが
ウソの方がはるかに優勢(ゆうせい)に見え
真理はどこかに押しこめられているかのようです。
(だから「真理がある」だけでは不十分なのです)

今この時代(艱難前)実際に口を用いて
真理を宣告するのは、天使でなく人の役目です。

しかし、
あれこれリクツをこねるのではなく
人の前でラッパを吹きならすのでもなく、
他人に教えをたれるのでもなく、
日常の隠れた小さな場面で、意識を持って立ち止まり、
一人見えざる敵に対して、オリにふれしばしば
神の真理を宣言する人はきわめてマレです。

いずれ来る艱難の時になると、
天使が空から大がかりでオープンな宣告をしますが
(黙示録14の6、7)今「か弱そうな人の子」による
「ささいな人間生活の中での隠された宣言」の価値は
それよりも実ははるかに大きいのです。

あなたの霊が
「何者かによって」押しこめられることに反発し、
意志を用いて自分の霊を外界(がいかい)に向けて
強く押し出すべきです。
本来、宣告や宣言は決して気楽なものではありません。
宣言とは実は霊的なバトル(戦闘)であるからです。


神のことばを宣告することによって
「天地の時代」をさえ変えた人の一例は
パプテストのヨハネです。何故なら彼は
初臨のキリストをこの時代の中へ導入したからです。

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