2011年6月27日月曜日

「立ち上がる」のはあなたです

① 「私が」願いを持ち
② そして
「私が」立ち上がって、
主により頼みつつ、一つ一つの事を行動に移す、
(日常の小事でさえも!)
という昔から言い古されたことが
とても大切な聖書の教えです。

確かに聖霊は働かれますが、それは
「私が自立的に願う、ようにと働く」という範囲です。
だからあくまで「私が願う」必要があるのです。
そこにはハッキリと人の意志があるべきです。
「人に明確な意志を持たせ
人をして、神により頼ませる」ように神は働く、
これが神のとても大きな原則です。

※ 意志や自己や「信仰」さえも捨て去り、
私は何もせず、自分を何かの上にフワフワと浮遊(ふゆう)
させるばかりの「怠惰」の中で、ただ神を待つのが
最も深い信仰である、・・・これは今日「進んだキリスト者」
の間に行き渡っている とても大きな誤解です。

神は
「あなたが立ち上がる」のを待っておられるのです。
あなたが、あの二本の木の間で、
ハッキリとあなたの意志を表明する時
神は「待ってました」と喜んで、
初めてその状況の中に介入することが出来るのです。
(ですからこの点においては「神にも限界がある」と言えます)

神はそれほどまでに(御自分を尊重されるほどまでに!)
あなたの人格を尊重されるのであり、絶対にあなたを
「神のロボット」にしたいのではありません。

だから、私達は次の有名な聖句を誤解しないように
気をつけるべきです:
「神の大いなる喜びの為に 願わせ、働かせるのは
あなた方の内で活動する神です。」
(ピリピ2の13)

何故なら、※のような時、神をよそおい
あなたの人格を無視してさえ介入してくるのは悪霊達
であるからです。(私の全面でないとしても、私のある
部分が、既に「敵の霊」の介入を受け、原因を知らずに苦しめ
られている可能性は十分にあり得ます。しかし
その事実に気がつくのはやさしいことではありません)

神はあなたに
「暗示し、すすめ、励まし、時には命令」さえされます。
しかし断じて強制されることはありません。
(この差は重要です)

再度言います。私は
神とサタンの二つの意志の間に立ち
立ち上がって「私の意志を用いて」
「悪い意志」(しばしばよさそうに見える)
を拒絶し、断固「神の意志を取る」
(神の意志を私の意志として取る)べきです。

パウロも言っています:
あなたは「悪魔の策略に対して立ちあがり・・なさい。」
(エペソ6の11)

2 件のコメント:

鳩 さんのコメント...

アーメン、全くそのとおりです。

タイムリーな記事です…。

「安息」をうたいつつ、怠惰に「安楽」しているのは、なんと愚かしいものでしょうか…。
本人は信仰に立っていると思い込んでいるので、始末におえません…。

Mr.Sugar さんのコメント...

ケサ、
自発的服従、主導的服従という言葉が
与えられました。

神は私達が「意識的に」
彼に従うことを喜ばれます。
これは今日失われつつある大切な真理です。

私達は「エバ母さん」のように
「神が人に自由意志を与えられた」と言う
「人間創造の大原則」を決して忘れる
べきではありません。そうでないと
悪しき者が私を奪うでしょう。
私達にとって今日一日が、
そのような邪悪な者に対抗して立ち上がる
日でありますように。