梅雨(ツユ)に入ったばかりだと言うのに、
ケサは実に美しい梅雨の晴れ間、今日は楽しい移動日です。
大好きな、深い奥山に迷(まよい)こんだかのような
国道399を走ります・・・
というわけで話を手みじかにすると、
人々は
「地球に住むのがこんなにも大変で、人々の不幸は限りがない、
という原因」は人間にある、と思っております。
だから皆さんそれぞれ
自分の正しさを主張して戦い、それが高じて人を攻撃(こうげき)
するのです。そのようにして今地球上のいたる所に、その大小の
攻撃や争いが無数に渦巻(うずま)いているのではない
でしょうか。
(私も言いますよ:それにしても、ああどうして人類は
こんなにもヒサンなのでしょう!)
しかしながら
聖書の、神の、イエスの、パウロの考えは全く違います。
彼等の考えはとても明快(めいかい)で、それは
全世界の限りなく深い不幸の根本原因は人にあるのではなく、
「神の敵とその手下ども」にある、というものです。
創世記は、「最初の人」に悪が入りこんだ時、決して
その時が「悪が始まった時」ではなく、
もう既にそこに、悪者が存在していたことを断言(だんげん)
しております。
確かにエバは悪いです。
私達は彼女のせいで(東電どころではない)大へんな迷惑を
こうむってしまいました!
しかしながら、もしもエバをだました者がいるとすれば・・
その者が最も悪いことは明らかです。
だから私達はあまり「エバ姉妹」を攻めるべきではありません。
むしろその「諸悪の根源(こんげん)」こそが第一番に
糾弾(きゅうだん)されなければならないでしょう。
これはとても単純な理屈(りくつ)ではないでしょうか。
エバの悪い理由は、実は
彼女がその悪に「ついていった」からです。今日もそれは同様で、
人は「あの悪者」に追従(ついじゅう)するから、その理由で
悪いのです。だから再びサタンが最も悪いのです。
時間がないので、今日の話は以下のようにまとめます。
私はこれを声を大にして言いたいのですが:
今キリスト者がこの地球に置かれていると言うのは、
正に「その悪の根絶(こんぜつ)のため」であります!
今地球と人の心はこんなにもダメにされてしまいました。
しかしながら、それでも決して、そして断じて、人は捨てたもの
ではありません。実は、人と地球に、約束されすばらしい希望が
あるからです。そしていずれその希望は現実のものとなる
でしょう。なぜでしょうか、それは・・
今ここにチャンと「キリスト人」であるあなたが
存在しておられるからです!
それでは・・
3 件のコメント:
アーメン。
しきりに目をさましていなさいとイエス様は言ってますね。(マタイ24:42,43)
それは、この世の主権者”神の敵とその手下ども”に対してではないでしょうか。
日々、キリストにある地位(エペソ2章)と神の武具による祈り(エペソ6章)によると思います。
それは選択の日々ですね。
追記:
その血肉によらない戦いは、刻一刻と内側において繰り広げられる選択、静かなるものです。
それが目を覚まして歩むことであると思うのです。
それは、いずれ現れる反キリストに欺かれないためでもあるとも思います。
コメント有難うございます。
先ほど実家に着きました。
そうです。
パウロが言う「人とでない戦い」はむしろ、
静かな日常の場面で、絶えず休むことなく
続けられるものだと思います。
霊をまどろませることなく、
絶えず目をさましていたいものです。
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