2010年4月1日木曜日

お便り感謝

お元気そうで、うれしいです。
私も元気です。

今特に
「悪霊との戦い」について目が開かれそうなので 
とてもワクワクしています。私達は
日常生活のささいな場面の中で、
悪霊の仕業(しわざ)を見抜き、彼らに
屈服(くっぷく)しない「私の霊・態度」がとても重要です。
それは正に、霊対霊の戦い、
私の霊と彼らの霊とのバトル、格闘(かくとう)となるでしょう。

キリスト者は
自分の意志までも放棄(ほうき)し「神に総てをあけわたす」
という美しい表現によって、知らず知らずの内に
悪霊にまで自分の内面を開放してしまうことが多いようです。
それは無数の「超自然的な生き物達」に対して自分を
全く無防備(むぼうび)にしてしまうことです。

私達は 神によって自分に与えられた人の意志を
十分に用いる必要があります。自分の意志を機能(きのう)させ、
環境と感覚の中の「悪霊からのいつわり」をはねつけ
断固(だんこ)神の御心のみを選び取らねばなりません。
「神に従いなさい、そして悪魔に立ち向かいなさい」(ヤコブ4の7)
「神より生まれたる者は おのれ自らを守る」(Ⅰヨハネ5の18、永井訳)

この点に関しては 20世紀初頭(しょとう)の
ペンルイス姉妹のメッセージが参考になります。

2 件のコメント:

Willie Yanaka さんのコメント...

>キリスト者は自分の意志までも放棄(ほうき)し「神に総てをあけわたす」という美しい表現によって、知らず知らずの内に悪霊にまで自分の内面を開放してしまうことが多いようです。

これは、今まで何となくそうだと感じながらも、自分の中ではっきりとことばで認識していなかったかと思います。ある意味人為的に誘導された"明け渡し”の中でむしろ敵に欺かれてしまうことがあるということですよね。

また、"知らず知らずの内に悪霊にまで自分の内面を開放"してしまう、ということがあり得るんですね。これも新しいです。逆にいうと、自分の内面を常に悪霊から"守る"ということが大事ということなんですね。日本の社会で働くとき、この点において非常に激しい戦いが繰り広げられていると思います。敵の戦略を見抜き、信仰の胸当てをしっかりと装備する必要があることに改めてき気づかされました。

多くの示唆を与えられました。ありがとうございます。

アブラハムのように、自らの意思をしっかりと働かせて、主に正しく"あけわたし"できるようになりたいです。

Mr.Sugar さんのコメント...

William さん、コメント感謝です。

これは今日 見逃され、しかもありふれた
キリスト者達に見る悲劇的な現状でしょう。
キリスト者達のさまざまな活動も 
そのことへの
真の気付きと真剣な戦いがなければ、
ほとんど意味をなさないと私は
思っております。