B姉妹は それからの治療のために当然 さまざまな検査を
しなければなりませんでした。しかし姉妹の実際の病状には
実に容易(ようい)ならざるものがあったのです。
今年に入り状況は更に深刻(しんこく)になり始めました。
ガンが急激(きゅうげき)に進行して行ったからです。
ガンの組織(そしき)は複数の臓器(ぞうき)の間に深く入り
こんでいました。口からの食事はできず、体重は激減
(げきげん)しました。 そして 手術は到底(とうてい)
不可能、抗がん剤も放射線
(ほうしゃせん)も 全く効果がないことが判明しました。
遂に医師は 余命は今年6月までであると言ったのです。
これを知ったA姉妹は それを告げた懇意(こんい)のB姉妹の
家族と電話口で泣きました。(しかし そのA姉妹の祈りには
どこかに平安を感じるものがあったと言います)所が状況は
更にその上を行くように、深刻(しんこく)の度を加えて
行きました。その頃病状は正に「加速度的に」
悪化して行ったようです。
遂に病院は この患者(かんじゃ)への対応を いつでも直ちに
することが出来るようにと 特別にBさんを 看護士達の目が常時
(じようじ)届く場所(EU室?)に移しました。
これが1月28日のことです。
本人の意識はもはやなく、医師は家族に対し 今日が「その日」
かも知れない、もったとしても、あと三日である趣旨(しゅし)
を告げたのです。家族は親戚(しんせき)を病院に呼ぶ手配をし、
葬儀(そうぎ)の段取(だんどり)りのことまで
考え始めたと言います。
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