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さて
兄弟に対する「その語りかけ」
それは確かに上から なのでしょう。
「ある聖霊の促しを感じる→しかし応じ切れないor
どうしたものかと思案する→心が騒ぐ、落ち着かない→
ある実行or 不実行と言う服従によって静かな平安を得る。」
これは推論、理屈、私の都合等を超えて
「御心把握」への一つの行程です。
「この道」とは ある意味
一人一人が 主の前で「その単純作業」をするだけでよい
と言う簡明な道であると思います。
その場合 恐らく「人の非難」を受け、恥辱をこうむるという
「私の魂が傷を負い、そして魂が失われる苦痛」は避けられない
ことさえあります。しかしそれは
「営所(宗教)」の外に引き出され 主と共に暗黒の谷間を通り
遂には十字架に付けられると言う ヘブル書13章に見る
極めて貴重な時間帯となります。しかしこのことは
ある経過をへて、兄弟が一人 主の復活を確かに目撃し そして
「密かな真の礼拝」をささげるという栄光ある時間に繋がるでしょう。
これこそが
生ける復活の主の御業を地上、時空の中で拝する
ための唯一の条件ではないでしょうか。
1世紀も21世紀も これ以外の方法で
「永遠の主の業」が「時空に」出現することはあり得ません。
ますます兄弟が、人ではなく
「主のみに」従われますようにと願ってやみません。
3 件のコメント:
SUGARさん
つい先ほどまで、苦悩していました。
あの後、また、ある促しがありました。
主に、「それは、とてもわたしには出来ません」と申し上げました。
すると、主がそれを受け取ってくださったように感じています。
昨日のお話の通りでした。
「本当の自分を心を主に申し上げれば良いのです。」
今、平安です。
わたしは、神と本当の交流をしています。
いえ、神ではなく、お父ちゃんと対話しています。
天のお父さんから、どんな言葉が返ってくるのか、なんだか楽しみです。
さっきまで、あんなに苦悶していたのに。
このような祈りを教えてくれたSUGARさんは、主にある兄弟であり、山のお父さんです。
ホンとに!
ただ主に感謝です。
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