お答えします:
私達には確かに
家族など他人のために自分の義務を果たすと言う
「人の本分」はありますが
いかなる環境も人も、それらを変える義務はないし、
その使命もありません。
また明らかに私達にそのような能力は無いのです。
ただ唯一与えられている責務は、
一切の自分の欲望に対して
「私」をキリストの死に重ねて滅ぼし、私の環境の中に
「神の欲望とサタンの欲望のみを残すこと」です。
そこに私の欲望が少しでも残っているならば、
神に大きなハンデを与えることになるでしょう。
私の欲望は完全に舞台から退却しなければなりません。
*
追伸:
真に「神の欲望とサタンの欲望のみを残す」ならば、
続いてその人は「神の欲望を即自分の欲望とする」筈です。
その時初めて神は、その環境を、彼を通して変えることも
可能となるのです。
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