ジュン君は『殉教した』。
私はそう思います。
ジュン君の死は「種」となり、
祈りによって関わった私達エクレシア
の中に蒔かれました。
ジュン君の20年間には
キリストの足跡だけが残って見えます。
そして長男のケン君も「主の所有」として、
違う形で、違う場面で、違う領域で、
出番が用意されているのでしょう。
今回のシュガー兄弟を中心とした一連の主の業は、
私に励ましと慰めとを与えて下さいました。
一人ぼっち セルフビルドの山小屋作り始めて、もうかれこれ15年、
キリストをここに迎えて 今年で5年
けれども 小屋は いまだに未完成。
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