2009年4月22日水曜日

美しい花籠を贈ってくれた兄弟へ

兄弟、残念ながら
花は昨日のジュンの場面には間に合いませんでしたよ。
でも、妻がその豪華でとても落ち着いた色調の
花籠を居間のテーブルの上に飾りました。
我が家の居間が美しく変化しました。
以下はその時 私が妻に告げた「あなたのお言葉」です:

「・・しかし、後に残った者の感情は、信仰に立っていても複雑な
ものがあります。特に男性よりも女性、中でも母親は大変です。
お差支えなければ、お祈りのために、奥さまやお子様のお名前を
お教えいただけますか。」

それを聞いた彼女は長男に笑いかけ、
「あ、私は母ではないかもね」と言いました。
これは事のほか嬉しいジョークです。

更に兄弟、実は私にとって全く予期出来なかった、
驚くべき「天からのプレゼント」があったのです。
それは、私が本当に長年の間 彼女の口から聞くことの
出来なかった「信仰の言葉」です。

・先ずはおととい、ジュンがなじんだ町八千代市の役所と
ジュンの部屋に行く車の中、突如として彼女が語り出したのです:
「確かに信仰は働く。人には分からないことが多い。でも
信じることによっていずれ主が状況の中で御業をなさる。
それだけは確実。」私が聞いた「主」と言う言葉の驚き。

・次は昨日 葬儀ホールの一室、ジュンのヒツギのかたわらで
彼女の口から捧げられた祈りの言葉です。

・火葬を待つ間、ロビーで私に語りかけてくれた言葉:
「ジュンの体との最後の別れは辛かった。しかし、それによって、
新エルサレムの意義が明らかになった。キリスト教で言う、
天国へ行くだけであるならば それは何か足らない。人の体は
復活する、そして万物は新たな形に再生する。この確かさこそ
素晴らしい。だから体は人に必要なのだし、いとおしい。」

それに次いだ私の言葉:「ジュンは今日焼かれるが、
かの日必ず復活する。それは決して蘇生などではない。
だから万物も必ずある日焼かれなければならない。」
これらは確かに上からの啓示です。

最近、ジュンの死の前から、彼女の内面に
何かが起こっていたことは疑い得ない事実のようです。
これはジュンの死が我が家にもたらした
最も価値あるものの一つでしょう。

だから確かに、
「あの時のジュンの死」とその前後の出来事は
総て永遠の過去において予期され、
そして注意深く準備された天来のものに違いありません。

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