2009年4月20日月曜日

ジュンのこと 2

17から35才に至る彼の後半生は
この厄介な病・統合失調症との激しすぎる戦いでした。
近年 彼の精神病はある程度 改善されはしましたが、それにも
かかわらず、未だに残された病根の深さには計り知れないものが
あったと思われます。

更にまた、病気のある程度の改善は、新たな重い問題の
浮上でもあったのです。それは、それまで病気がブロックしていた
「病気を持たない人間の悩み」の部分的出現です。それを彼は
「あの頃は無神経であったから」という言い方で説明するのです。

次に 彼独特の性格的な弱さです。
はたで見ていても痛々しい程の余りに繊細で傷付きやすい
生来の彼の心です。それ故、例えば対人関係における他人との
距離感と言うものに、彼ほど神経をすり減らした人間も
いないのではないでしょうか。

最後に、どうしても克服出来ない飲酒と喫煙。しかし今このように
見て見ると、あれほど苦しんだ飲酒と喫煙でさえ彼にとっては
マイナーな問題点に過ぎなかったのかも知れないと思います。

こういう様々な要素が複雑に入りくんだ問題を抱え、それでも
彼はけなげにも、その解決の為に具体的かつ様々な努力を
し続けたのです。(例えば、安らぎを得んが為のギターの練習、
青空を見る、ファミレスの安価なドリンクバーの試み、絵を描く・・)

しかし、残念ながらその努力はことごとく壁に突き当たっていた
ようでした。何をしても何の感動もない、何の興味もわかない、
がその悲惨な結論だったのです。
結果、生きることの上で彼には「楽しむと言うことが殆ど存在しない
毎日の生活」が残るのです。ここで敢えて、あの忌まわしい病の圧迫から
逃れることが出来なかった彼の18年間を一言で表現しようとするならば、
世に言う「心の捨て所」や「はけ口」などというものからは、
完全に見放されてしまった短い一生の殆どであった、
とさえ言えるのではないかと思わされます。

にもかかわらず、
それでも、これから私がどのような言葉をいくら懸命に書き連ね
ようとも、彼の心の奥底の闇を的確に表現する人間の言葉など
この世には決してあり得ないに違いありません。

(「ジュンのこと2」は以上です)


ここで一つの「ただし書き」が必要でしょう。
次回等で、逐次触れて行く積もりなのですが
菅原家は確かに悲しみの中にあります、しかしまた、一面
今、奥深い不思議な安らぎと喜びと平安が今この家を包んでいる、
とも言えるのです。

恐らく「ジュンのこと3、4・・」では、どうしても
皆様方にとって「非常識極まりない」多くの言葉を書き連ね
なければならないであろうと今から妙な懸念を致しております。
なぜなら、それは私にとって極めて真実であるからです。


本日「彼の古き体」をダビに付します。しかし、彼の霊と魂、即ち
「彼そのもの」は「アブラハムの懐、パラダイス」で、彼が生前
どうしても得られなかった全き安息を楽しんでいることは確実です。
それ故、もはやジュンの為ではなく、
私達の為にお祈り下されば幸いです。

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