アメリカでは、臨死体験者が急増しているようです。
魂が肉体から離脱し、二つを結んでいる銀のひもが
延命治療のために切断されず、魂が天国体験、神体験、光体験等、
超能力体験をして人生が変わる、と言うのです。
東洋でも、神秘体験やヨガの呼吸法などでも、
臨死体験が起こるとされます。
ヒマラヤの神智学、クンダリーニと言われている蛇の覚醒、
チャネリングと称して宇宙意識の声を聴く瞑想。
ブリーヂングと呼ばれている過呼吸法などがあります。
クリスチャンの中にも、臨死体験を十字架の死だと
信じている人もいるそうです。
☆
兄弟、情報をありがとう。
「神はただ、人の霊の直覚を通してのみ
神の御こころを知らせられる」
と言う真理がいまこそ強く主張されなければなりません。
これは神の一大原則なのです。
しかしながら今もう既に、相当の悪影響がキリスト者達を侵害して
しまっていることでしょう。私たちも今、神の前にへりくだり
既に受けてしまったであろう「霊的な」影響を想定し、それらをよく
調べて見る必要があるのではないでしょうか。なぜなら
「空中を源とするこの世に吹く風」を「優しく」ほほに受けた
ことのないキリスト者はほぼ皆無であろう、と考えるからです。
私たちが記憶しなければならないのはこれです:
あまたある人の書物の中で「ただ聖書」のみ、そして
あまたある人の知覚の中で「ただ人の霊(直覚)」のみ、
と言うあまりにも基本的な真理です。
「内側から人の霊に語る聖霊、そして外から語る聖書」オンリー
神が人に語る手段はただこの二つです。これをまとめて言えば
「聖霊」は「聖書」を通して「人の霊」に語る、
と言うことになるでしょう。「おびただしい数の書の中で、
ただ聖書、そして、無数の人の知覚の中で、ただ直覚」だけです。
(この両者、聖霊と聖書は内外で互いに呼応・エコーイングすること
を知るべきです。その両者の実質は全く同じであるからです。)
これは明確な神の定めであり、神はこの二つの為にこれまで敵と
幾多のバトルを繰り返して来られたのです。この時代以後その有様は
必ずその度を増し加えるでしょうが、表面的には敵が優位に立つ
かの様に見えるでしょう。そのような混沌とした状況の只中に住んで
いる故に、真に真理を識別出来る「キリスト者」はごくごく少数に
限られるはずです。人々はいともたやすく諸々の「悪霊」の仕業を、
神の働きとみなし、それらを礼拝するでしょう。ここで礼拝するとは、
それらの現象を尊重し愛することを意味します。
(その場合の礼拝もやはり24時間です。)
もし聖書がなければ、どこに神のことばがあるのでしょう。
そこにあるのはただ混沌です。
もし人の内的な機能である「人の霊」がなければ、
どこで神の声を聞くのでしょう。
そこにあるのはただ大混乱です。
しかし今既に、その混沌と大混乱が地上を埋め尽くそうと
している、と私達は見るべきです。
*
上述の「空中を源とするこの世に吹く風」:それは
「この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として、
今も不従順の子らの中に働いている霊」です。(エペソ2の2)
*
「あまたある人の知覚」について:
これについて述べるとすれば、殆ど際限がないことになるでしょう。
人の感情の持つ無数の知覚、思いに訪れるおびただしい考え、身体の
多くの器官が感ずる諸感覚、それらの一つ一つに対して「他の霊」は
「不思議で素晴らしい」働きかけをすることが十分可能です、
もしもあなたが神の意志を自分の意志として取り、その上に立ち、
「諸霊」に対して断固抵抗するのでなければ・・。
「愛する者達、霊だからと言って、みな信じてはいけません。それらの
霊が神からのものかどうかを、試しなさい。何故ならにせ預言者が
たくさん世に出て来たからです。」(Ⅰヨハネ4の1)
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