聖書を見るとき、新約聖書だけでも「御こころ」と言うフレーズが
相当頻繁に登場することに気づきます。その一部をあげてみると・・
・マタイ6の10:御こころが天に行われる通り
地でも行われますように。
・マタイ7の21:私に向かって、主よ、主よと言う者が皆
天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の御こころを
行う者が入るのです。
・マタイ26の42:父よ、どうしても飲まずに済まされぬ
杯でしたら、どうぞ御みこころの通りをなさって下さい。
・マルコ3の35:神の御こころを行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、
また母なのです。
・ヨハネ4の34:イエスは彼らに言われた。「私を遣わした方の
御こころを行い、その御わざを成し遂げることが、私の食物です。」
・ヨハネ7の17:誰でも神の御こころを行おうと願うなら、
その人には、この教えが、神から出たものか、私が自分から語って
いるのかが分かります。
・使徒22の14:私達の先祖の神は、あなた(パウロ)に
御こころを知らせ・・
・Ⅱコリント8の5:神の御こころに従って、まず自分自身を主にささげ、
・コロサイ1の9:神の御こころに関する真の知識に満たされますように。
・ヘブル10の5~7:キリストは・・こう言われるのです。「神よ、
あなたの御こころを行うために・・」
・ヘブル13の:御前で御こころにかなうことを私達の内に行い、
あなた方が御こころを行うことが出来るために・・
・Ⅰペテロ4の2:あなた方は、地上の残された時を、もはや人間の
欲望のためではなく、神の御こころのために過ごすようになるのである。
・Ⅰヨハネ2の17:世と世の欲とは滅び去ります。しかし、神の
御こころを行う者は、いつまでも永らえます。
「神の御こころ」に意味上は極めて近いと思われる「神に喜ばれること」
なども加えたら、それはかなりの数に上るでしょう。
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