人には或る際立った特徴があります。
それはその弱さと能力の低さです!
人の様々な能力を他と比べて見るならば、
サタン、堕落天使はもとより、
小さな悪鬼にさえ かなう要素はありません。
真に人の能力は極めて低く人はあまりにも弱いのです。
しかし今一つのことを考えて見ましょう。それは
これらの強く超越した能力を持つ生物どもと人間との共通点です。
「サタン、堕落天使、悪鬼、そして、人間」を
一くくりにする言葉はないのでしょうか。
ありますよ。
それは「被造物」と言う言葉です。
私達も彼らも被造物に過ぎないのです。人も天使も総て
被造物と言う共通項で一くくりにされるのです。
☆
ですからあのルシファーでさえ当初はきっと
「自分は造られたものに過ぎない」
と言う意識をしっかりと持っていたことでしょう。
とても意外なのですがこの意識は極めて重要です。
元よりこれは当然なことであり、これこそ健全なこころです。
しかし、奇妙なことに今現在サタンと人の意識の奥底には
あわよくば神になりたい、神に対抗したいと言う
とんでもない奥深い欲望がある事は確かです。
これは実に不思議なことではありませんか。
しかしその欲望の根にあるものは一体何なのでしょう。
それは「神からの独立」です。この微細な一点「独立、自立」が
神に対する サタンと人にある根源的な罪なのです。
何たることでしょう、そのとても「罪」とは見えない
ささやかでしかも美しくさえ見える「神からの自立」こそが、
宇宙の全歴史における巨大な諸々の悲劇と惨劇の
開始となってしまったとは!
おそらくはルシファーの全盛期のある日、
その様な「ささやかで美しくも見える」その思いがフト
彼の内面に到来したのでしょう。
その様にしてあの「明けの明星」は
神への反逆の第一歩を印してしまったのです。
(イザヤ14の12~15)
☆
本論に戻ります。
しかし人と彼らにとって神は当然、驚異であり、
また脅威です。被造物にとって創造主はあまりにも
偉大過ぎるのです。神はあくまでも神なのです。
神は元より絶対者です。だから
彼だけが誰にも創造されなかったものであり、
その命は永遠であり、彼は総ての父であり源です。
ある時神は「ことば」によって時空をも創造されました。
それは彼だけが「真の存在」であるからです。
その「存在」と比べるならば、一切の他のものは
「存在」の名に値しないのです。だから神以外の誰にも
「私は在る」と名乗ることは許されません。
誰がおのが身の丈を背伸びさせて「いつか私は
神に到達出来る」などと言い得ましょう。
一体誰が神に抗し得ましょうか。
創造主と被造物、その格差はあまりに大きいのです。
どんなに優れた詩人でさえ その差異を的確に表現する
言葉を見つけ出すことは難しいのです。
ああ神は余りに偉大です。
*「私は在る」の意味:私は存在する、私が真の存在者。
逆に言うと、私以外は「在る」ではない。即ち「私だけが真の
リアリティである」。
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