2008年5月12日月曜日

その舞台(2)

人には或る際立った特徴があります。
それはその弱さと能力の低さです!
人の様々な能力を他と比べて見るならば、
サタン、堕落天使はもとより、
小さな悪鬼にさえ かなう要素はありません。
真に人の能力は極めて低く人はあまりにも弱いのです。

しかし今一つのことを考えて見ましょう。それは
これらの強く超越した能力を持つ生物どもと人間との共通点です。
「サタン、堕落天使、悪鬼、そして、人間」を
一くくりにする言葉はないのでしょうか。

ありますよ。
それは「被造物」と言う言葉です。
私達も彼らも被造物に過ぎないのです。人も天使も総て
被造物と言う共通項で一くくりにされるのです。


ですからあのルシファーでさえ当初はきっと
「自分は造られたものに過ぎない」
と言う意識をしっかりと持っていたことでしょう。
とても意外なのですがこの意識は極めて重要です。
元よりこれは当然なことであり、これこそ健全なこころです。

しかし、奇妙なことに今現在サタンと人の意識の奥底には 
あわよくば神になりたい、神に対抗したいと言う
とんでもない奥深い欲望がある事は確かです。
これは実に不思議なことではありませんか。
しかしその欲望の根にあるものは一体何なのでしょう。
それは「神からの独立」です。この微細な一点「独立、自立」が
神に対する サタンと人にある根源的な罪なのです。
何たることでしょう、そのとても「罪」とは見えない
ささやかでしかも美しくさえ見える「神からの自立」こそが、
宇宙の全歴史における巨大な諸々の悲劇と惨劇の
開始となってしまったとは!

おそらくはルシファーの全盛期のある日、
その様な「ささやかで美しくも見える」その思いがフト
彼の内面に到来したのでしょう。
その様にしてあの「明けの明星」は
神への反逆の第一歩を印してしまったのです。
(イザヤ14の12~15)


本論に戻ります。
しかし人と彼らにとって神は当然、驚異であり、
また脅威です。被造物にとって創造主はあまりにも
偉大過ぎるのです。神はあくまでも神なのです。

神は元より絶対者です。だから
彼だけが誰にも創造されなかったものであり、
その命は永遠であり、彼は総ての父であり源です。

ある時神は「ことば」によって時空をも創造されました。
それは彼だけが「真の存在」であるからです。
その「存在」と比べるならば、一切の他のものは
「存在」の名に値しないのです。だから神以外の誰にも
「私は在る」と名乗ることは許されません。

誰がおのが身の丈を背伸びさせて「いつか私は
神に到達出来る」などと言い得ましょう。
一体誰が神に抗し得ましょうか。
創造主と被造物、その格差はあまりに大きいのです。
どんなに優れた詩人でさえ その差異を的確に表現する
言葉を見つけ出すことは難しいのです。
ああ神は余りに偉大です。

*「私は在る」の意味:私は存在する、私が真の存在者。
逆に言うと、私以外は「在る」ではない。即ち「私だけが真の
リアリティである」。

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