2007年10月21日日曜日

あるメール交換から 3

神に対する本気 無しでは何も始まらない、
に引き続き、

Ⅰ神の目的を知る
先ず私達は「主よ、あなたはどこに行こうとしておられるのですか」
と問う必要があります。
即ち 私たちは 今この時代におけるイエスの行く道、
この時代における神の目的を知らなければならないのです。
私たちはイエスの友です。もしもそうであるならば
私たちは神の僕としてだけではなく
神の友として神の目的、計画を知るべきです。
そしてそれはきっと知ることが出来る筈です。
仮にイエスが福音書にあるように 今
小さな船に乗って対岸に向かっておられるとするならば、
私たちは イエスと同じ目的意識を持ち
その小船に乗船する必要があるのです。
 
Ⅱ除去する力を用いる
イエスの中にはある極めて特異な力があります。
それは総てのものを除去する力、切り離す力です。
取り除き 切り離す最大の効力は死の中にあります。
どんな凄いものでも死の向こうまでは
追いかけて来る事が出来ないのです。
 
私達は このイエスの死の力を知り それをわが身に適用し
多くのもの(罪、肉、この世等)から
わが身を切り離すことを実際的に学ぶ必要があります。
神は私達にその死の力を用いることを願っておられるのです。
 
神の目的達成のためには
イエスの力以外の力は それがいかに品よく見えたとしても
神にとっては役に立たない所かむしろ邪魔なものであり 
遠く切り離され、取り除かれなくてはなりません。
当然 私たち自身の努力の汗、血気等も総て「邪魔」です。
 
もしも私たちの中にその様な邪魔が少しでもあるならば、
たとえ私たちが対岸にたどりついたとしても
神の敵である邪魔(邪霊達)が私達から逃げ去ることはないでしょう。
従ってそこにキリストの目的である王国がもたらされることもあり得ません。
なぜならば私の内側に 邪霊達の足がかりがあるからです。
 
更にイエスは遂に「私達そのもの」さえも除去されます!
彼は私の古い命、生活、人生、運命さえも隔絶されるのです。
それはキリストのみが私の生活の中で100%表現されるためです。
神にとってキリストは文字通り総ての総てでなければならないからです。

Ⅲキリストの復活の力を導入する
嵐の海を渡り(超越し)対岸で悪鬼を追い出し
キリストの王権を現すという彼の目的を実現するための総ての力は
ことごとくイエスキリストの中からのみ引き出されなければなりません。
それでは今現在そのイエスの力はどこに存在するのでしょう。

それはイエスキリストの復活の中にあります。
だから今でさえ私達はいつでもどこでも時空を越えて
この復活のキリストの力を引き出し導入することが可能であるのです。
 
そして遂にはそのイエスの復活の中で 
私達は一人一人個別の生活を生きると言うのではなく、
自分をキリストと言う生ける「型枠」の中に置き
「イエスキリストと言う生活と人生」をこの地上で私から生かし出すのです。
実は私たちには既に 私達の命も生活も人生も無いのです。
それは永遠の中では総て彼の死の中で除去されています。
だから私達は信仰を機能させ、私においてさえ
「イエスキリストと言う命、生活、人生、運命」がこの時空の中でも
最もリアルで実際であることを実証し証明する事が出来るのです。
☆ 
以上のことを敢えて端的に言うならば、
1イエスの死をわが身に適用して総ての邪魔な力を取り除き、
2全面的にただキリストの復活の力によって
3イエスと共にその目的に到達する
と言うことになります。
更に詰めて言えば 神の目的を認識し、
キリストでない総てをマイナスし
キリストのみをプラスすると言えるでしょう。
即ち その目的のためにそのマイナスとプラスを実際生活に
現し出すのです。

以上はホンの一つの大雑把な鳥瞰図、原理原則の提示に過ぎません。
この原則(-→+)の実際生活への適用には
当然多くの探求と交わりが必要とされます。
それは折に触れて少しずつ提示して行きたいと思っております。      

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