「私ではなくキリストが私の中で生きている」
・・これはキリストが生きること。
「今私が肉体の中で生きる その命を
キリストの信仰において生きる。 ・・これは私が生きること。
最近この箇所に少しはまっております。とても甘い御言葉です。
さて この20節全体は「この私の肉体の中で キリストと私が
全く一つの同じ命を 共有して生きている」 と
言っているのではないでしょうか。
更に「私が生きる」のは信仰の中で、でなければなりません。
それが唯一の私達に対する要件です。
しかしそれは何と キリストの信仰の中で なのです。
だからここに 信じることさえキリストである、
と言うパウロの信仰が存在します。
これは何という信頼 なんという安息でしょう。
これこそ或いは信仰というものの最高の姿なのかも知れません。
要するこの箇所で示唆されているのは
この2人(キリストとパウロ)は一つである ということなのです。
私はあなたであり あなたは私です、と言うことですね。
2 件のコメント:
「キリストが私の中で生きている」
実践できるために異言で祈り求め続けています。日本語だと祈りの言葉が途中で出なくなるからです。
近頃意識しなくても絶えず心の中に異言がひびいているようになりました。祈りをイエス様はきっと聞いてくださると期待しています。そうなりますように。
光を求め 祈る。
光が与えられ、ただ神の言葉を受け入れ
その言葉に信頼する。ただそれだけで
しょうね。
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