2007年3月14日水曜日

   私のケチイズム

 まずは この山小屋の建築、そのやりかたが正にケチイズム。
 外壁はベニヤ板、窓サッシの 多くは 人が捨てたもの、以前の浴槽は
路上での拾い物、南東側のデッキの根太は 隣の農家のお婆さんの
風呂用の薪を もらって来たもの、この小屋のベストな3つのドアでさえ 
完全いただきもの etc.etc.
 そんなふうにして山小屋を建てる、 そのことに無上の幸せを
覚える というのだから ケチはもう  私の立派な趣味なのです。
 「正当ケチイズム」に合理主義はありません。だから ケチケチやったら
損する と分かっていても  やるのです。その上 全く自分でも
おかしいくらい  このケチイズムは 山の生活の 
いろんな場面にも顔を出す。
 そのつど  私は一人で ささやかな喜びを感じているのです。

          

      * 真理の窓 *
  真理とは単なる事実ではありません。
更に真理とは 決してすばらしいメッセージ、霊的書物、
そして霊的な人でさえありません。
それらは総て単なる「真理の窓」に過ぎないのです。
  真理とは 窓の外の「生ける世界」であり、頬をなでる爽やかな風、
輝く日の光、さえずる鳥の声そのものです。
だからあなたは 自分の足で立ち、窓を後にし、歩き、森を通り、
「生ける真理そのもの」に触れに行かなければなりません。
 そうでなければ、あなたは決して 森の奥の谷間にひそむ
甘美な泉の味を楽しむことはないでしょう。
  いつまでも窓と窓とを比べ、窓をほめそやし、
窓に追従するだけの人であってはならないのです。

0 件のコメント: