まずは この山小屋の建築、そのやりかたが正にケチイズム。
外壁はベニヤ板、窓サッシの 多くは 人が捨てたもの、以前の浴槽は
路上での拾い物、南東側のデッキの根太は 隣の農家のお婆さんの
風呂用の薪を もらって来たもの、この小屋のベストな3つのドアでさえ
完全いただきもの etc.etc.
そんなふうにして山小屋を建てる、 そのことに無上の幸せを
覚える というのだから ケチはもう 私の立派な趣味なのです。
「正当ケチイズム」に合理主義はありません。だから ケチケチやったら
損する と分かっていても やるのです。その上 全く自分でも
おかしいくらい このケチイズムは 山の生活の
いろんな場面にも顔を出す。
そのつど 私は一人で ささやかな喜びを感じているのです。
* 真理の窓 *
真理とは単なる事実ではありません。
更に真理とは 決してすばらしいメッセージ、霊的書物、
そして霊的な人でさえありません。
それらは総て単なる「真理の窓」に過ぎないのです。
真理とは 窓の外の「生ける世界」であり、頬をなでる爽やかな風、
輝く日の光、さえずる鳥の声そのものです。
だからあなたは 自分の足で立ち、窓を後にし、歩き、森を通り、
「生ける真理そのもの」に触れに行かなければなりません。
そうでなければ、あなたは決して 森の奥の谷間にひそむ
甘美な泉の味を楽しむことはないでしょう。
いつまでも窓と窓とを比べ、窓をほめそやし、
窓に追従するだけの人であってはならないのです。
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